2011年5月22日日曜日

ルベーグ積分のお勉強2

ルベーグ積分の勉強をしばらく放棄してしまっていたのですが、最近またやる気が出てきたので集中的にやっております。

多くの教科書で $\overline{\mathbb{R}}=\mathbb{R}\cup\{\pm \infty\}$ に値を取る可測関数を扱っていて、可測関数の和や積が可測関数であることを証明する命題などがあるのですが、それらの中で $0\cdot \infty =0$ を採用して話を単純化するものが多いようです。

自分としては最初に伊藤清三氏の本を読んだため、この規約を採用したくない気分でいっぱいです。$0\cdot \infty$ の演算は主に次のような場面で現れます。

(1) 積測度
$(X, \mathscr{M}, \mu)$, $(Y, \mathscr{N}, \nu)$ を測度空間とし、$E\in \mathscr{M}$, $F\in \mathscr{N}$ をそれぞれ $\mu(E)=0$, $\nu(F)=\infty$ なる集合とするとき、$X\times Y$上の測度 $\pi$ の持つ性質として $\pi(E\times F)=\mu(E)\times \nu(F)=0$ となるべきというもの。

これは至極もっともな要請で、そうでなければいけないということが確信出来ます。

(2) 関数値の積
$(X, \mathscr{M})$ を可測空間とし、$f, g$ を $\mathscr{M}$ 可測関数とするとき、ある$x\in X$ に対して $f(x)=0$, $g(x)=\infty$ となった場合の $f(x)g(x)$ の値。

最初はこの状況を正当化する理由がよくわからなかったのですが、積分を定義する際に可測関数は単関数で近似するため、上のような $x\in X$ に対して $f_n(x)=0$, $g_n(x)=2^n$ なる値を取る関数列の極限として考えれば、$f(x)g(x):= \lim\limits_{n\to \infty} f_n(x)g_n(x) =0$ とすることで正当化出来そうです。
また柴田氏の教科書では、$X$ の部分集合 $A\in \mathscr{M}$ 上での $f$ の積分を考えるときに、$A$ の定義関数 $\chi_A(x)$ を使って $\int_X \chi_A f\, d\mu =\int_A f\, d\mu$ と定義してあるので、関数値の$0\cdot \infty =0$を避けることが出来ません。

(3) スカラー倍と積分の順序交換
可測関数 $f$ の積分が発散する場合、つまり $\int_X f\, d\mu =\infty$ であるとき、$c\int_X f\, d\mu = \int_X cf\, d\mu$ が $c=0$ に対しても成り立つべきか。

個人的にはこれが正当化される理由がイマイチよくわかりません。測度空間 $(X, \mathscr{M}, \mu)$ を $\sigma$有限とし、$\{X_k\}_{k\in \mathbb{N}}$ を $\mathscr{M}$ の集合列で $\mu(X_k)<\infty$ $(k\in \mathbb{N})$ なるものとするとき、$\int_X f\, d\mu =\lim\limits_{k\to \infty} \int_{X_k} f\, d\mu$ と定義することで正当化出来そうな気はしますが、それだと $f$ や $\{X_k\}$ の選び方にも依存しそうな気がしたり、そもそもルベーグ積分を広義積分のように定義すべきなのかという点も疑問です。

(3) を正当化出来る理由がすっきりするとよいのですが、ここでの$0\cdot \infty$ は個人的に避けたい気分です。柴田良弘氏の「ルベーグ積分論」では積測度の構成において積分の結果を使っており、その中で(3)の形の計算を使っています。かと言ってこれを避けると、伊藤清三氏の教科書にある長々とした積測度の議論を行う必要があり悩ましいところです。